基本給に含めた定額残業代の扱い
現政権の規制緩和策の中で、残業代支給の対象外となる社員制度を設けようという考えがあるらしいことは、さまざまなメディアで取り上げられています。賛否両論あるようですが、私は、もしやるなら働き過ぎを防止する規則もしっかりと盛り込んで欲しいと思います。さもないと、極端なケースではありますが、24時間仕事のことだけを考えて生活しろ、と命令する会社が現れないとも限りません。
今でも既に、基本給に一定時間分の残業代を含めているという給与体系をお持ちの会社もあるかと思います。それ自体に違法性はありませんが、私は、基本的にこの方式は止めた方が良いと強く思います。なぜなら、適正な手続と運用をしていないと、残業代を払っていないと判定されて、労働基準監督署から是正勧告を受けたり、裁判に持ち込まれたときに、敗訴する危険性が高いからです。
このコラムのシリーズで取り上げている阪急トラベルサポート事件でも、1審の東京地裁で会社が敗訴して、未払残業代の支払いを命じられたのは、この手続を取っていなかったからです。この事件は最高裁まで行きましたが結局会社は負けました。
適正な手続とは、簡単に言うと、基本給に定額残業代が含まれているなら、そのことについて社員の合意を取っておくこと、さらに毎月の給料明細にわかるように書いておくことと、そして、それをオーバーするような残業をした月は超過分を払うことです。詳しくは後段でご説明します。
この適正な運用をするくらいなら、はじめから基本給と残業代は分けて支給した方が、安全ですし、給与計算の作業上もずっと楽です。私も実際に、定額残業代を組み込んだ基本給方式の給与計算業務を請け負っていますので、その煩雑さは身にしみています。
また、営業手当などの名目で毎月固定額を支払っていて、会社は、これは残業代に相当するものだと認識していても(いわゆる定額残業代)、やはり手続と運用がきちんとしていないと残業代は全く払っていなかったと判断されてしまう危険性があります。
想像してみて下さい。もし過去2年分の残業代を年利5%の利息を付けて対象社員全員についてさかのぼって払わなければならなくなったとしたら、一体いくらになるでしょうか?それどころか、たとえ未払分を払ったとしても、それで終わりではありません。今後も同じくらいの残業代を払っていかねばならないのです。当然、会社負担の社会保険料も高騰します。
こうした事態を防ぐには、残業時間を、定額残業代の範囲内に抑えるような対策をとるしかありませんが、なかなか実行が難しい労務管理のひとつです。ひとつの方法としては、ある時刻になったら、残っている残業対象の社員(または全員)を強制的に退出させてしまうといった少々荒っぽい方法があります。実際に実施している会社もあります。
さて話を元に戻して、会社としては払ってきたつもりの残業代が、全く(あるいは一部)払われていないから、未払分を一括して払えと命令されてしまったら、会社経営に与える影響は甚大です。その上、将来分については給与体系の改定を急がねばなりません。
が、同時に労働条件の不利益変更とならないように十分注意して進めなければなりません。
未払残業代を払って終わりではないことをわかっていただけたでしょうか?
でも、会社によっては、どうしてもこの方式で給与を支払わなければならない事情もあることでしょう。たとえば、アメリカに本社がある日本子会社で残業代を払おうとすると、本社からストップがかかるといったことがあります。日本の法律の仕組みを説明しても、なかなか理解してくれないこともあります。このようなときはやむを得ず、たとえば、1日2時間の残業があるとして、月45時間分の残業代を含んだ基本給を設定するといったことをやることもあります。しかしながら、45時間を超えると超過残業代が発生してしまうので、これを超えないように仕事をしてもらうという毎月の労務管理が大切になってきます。社員数が多いと管理が大変です。
さらに、労基法に反しないように、適正な方法で給与計算をしなければなりません。この時に参考になるのが、最高裁判決(平成24年3月8日・テックジャパン事件)の中に示されている、櫻井裁判官の補足意見です。この通りにしたからといって未払残業代を請求されても会社が裁判で負けないという保証はありませんが、定額残業代込みの基本給の支払いについての最低限の手順が示されていると思いますのでご紹介します。
なお、前提として、時間外労働に関する労使協定(通称36協定)が適正に締結されて、毎年、所轄の労働基準監督署に届出されていることが必要です。
1.雇い入れ時に提示する労働条件通知書や社員と交わす労働契約書に、基本給に含まれる定額残業代の金額と、対象となる残業時間数が明記されていること。
2.さらに、定額残業代を超える時間外労働があった場合には、差額を基本給に上乗せして払うことが、労働条件通知書や労働契約書に明記されていること。
3.毎月の給与明細書に、実際の残業時間と、残業代の額が記載されていること。
定額残業代を超えた場合にはその旨と、差額(例:超過残業手当)の支給がされていること。
なお、1.2.については、就業規則の賃金規程にも、同旨の規程が定められていることは必須です。就業規則の規定を下回るような個別の労働契約の内容は、たとえ合意があっても無効となるからです。見落としがちな点ですので、ご注意下さい。
私はこの3要件に加えて、できれば、毎月、給与受取書に本人のサインか押印をもらっておいた方がより良いと考えています。これは、社員が、残業代込みの基本給を受領したことについて、確認したという証拠を残すためです。会社にしてみれば、黙って受け取っていれば暗黙の了解だといいたくもなりますが、裁判で認められるかというとなかなかそうも行かないのが現実です。
もう一つとても大事なことがあります。それは定額残業時間を全社員一律にしないことです。「新入社員もベテラン社員も全員、毎月45時間残業するから基本給に45時間分の残業代を含めました。」という事が会社の実態を反映しているでしょうか?基本給が業界の中でも相当高いのであればともかく、平均的な金額であった場合には、このような主張も裁判では通らない危険性があります。
実は、私がなぜ2つも追加したかというと、未払残業代を請求された労働審判で、会社がこの通りのことをしていたと主張して証拠も提出したので、その部分は認められたという実績があるからなのです。残業代の計算方法に間違いがあったので、その差額は払うことになりましたが、請求された金額に比べてかなり低い金額で和解することができました。あくまでも労働審判での判断ですから、これが絶対大丈夫なものとは言えませんが、参考にして頂ければと思います。もっとも、少人数の会社でしたからこのような事ができたのかも知れません。
このような煩雑な手続を毎月行っていれば、未払残業代は発生しないと言える可能性は高まると思いますが、外資系の日本子会社のような特殊事情のある会社でもなければ、あまりメリットは見いだせないのではないかと思います。
阪急トラベルサポート事件では、当事者の会社にとっては大変なご苦労をされたかと思いますが、労務管理について、さまざまな点で気付かせてくれる貴重な裁判だということがわかります。
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