有事のルール−まとめ/その11
「迫り来る法改正の荒波−6」
●本題に入る前に、別角度から、このテーマとも通底する課題を拾い上げてみようと思います。
●このところ活発化しているといわれる、「事業資金」をめぐる金融当局とその指導監督下にある金融機関の動きに現れている「規制問題」です。
キッカケは、オリンピックの招致決定で、昨年十月を期に、当局の姿勢が急変し、不良債権処理の促進と成長型事業への資金振り向けに大きく舵を切ったといわれています。
端的に云えば、先の展望が描けない事業・産業から資金を引き上げ、成長見込みのある分野に資金を供給せよ、と云うことだろうと思います。
●「事業資金」に関するこうした金融庁のシナリオの背景には、金融機関の抱える不良債権総額(見かけ上)がピーク時の25%まで低下した事、10年来積み上がっていた繰り延べ税金資産(不良債権に対する貸倒引当金等の会計上の損金は、税法上その期には経費算入できない為、納税が増える分、後の期で損金確定すると払いすぎた税金が戻る事から、その戻り見込み分を資産計上する仕組み)の取り崩し処理にほぼ目途が立ち、事業運営実績と納税の不均衡状態が解消されつつある事等、償却済み債権はもちろん、積み残した問題債権処理にも手を付け易い環境が整いつつある、という金融側の事情もあるとされています。
●確かに経済は生き物であり、市場原理に基づいて常に流動するものなのだから、状況が変われば政策も変わる−というのは、タテマエとしては正論ですが、しかし、実際にはこのように、政策当局による人為的な介入や操作が行なわれていることは、「事業資金」のストーリーを追ってゆけば、誰しも気づかざるを得ないところではないかと思われます。
●本稿のテーマにも密接に関わるところですが、一般に、いわゆる「規制強化」は、当局による政策誘導であり市場のコントロール、「規制緩和」は、政策自由化であり市場原則優先である、といわれています。
規制緩和を旗印にした「小泉改革」のDNAを、そのまま引き継いでいるとされる現政権ですが、良し悪しは別にして、近頃の金融の動きを追っていると、それとは正反対の市場コントロール、市場介入の様にどうしても見えてしまいます。果たして真相は、どうなのでしょうか。
●どちらが是でどちらが非という事ではなく、実際、局面によっては、開放が是の場合も介入が是の場合もあるかと思います。
が、金融に限らず、開放派=規制緩和推進派=の人々によって良く持ち出されるのが、「均衡論」=規制緩和によって逸早く富を形成するのは、限られたごく一部の者に過ぎず、大半はそのチャンスにすら恵まれず、格差社会が一層拡大するばかりだ−と、反対論者は言うが、富を得た者がそれを税金や寄付によって社会に還元する事で、いずれ皆がその恩恵に浴し、富の偏在は解消され、均衡してゆく=と呼ばれる考え方で、イメージで云えば、シャンパンタワーが一番わかり易いかもしれません。
●最上層にあるグラスに注がれたシャンパンが溢れ出ると、下層のグラスも、次から次に満たされてゆく−という件の絵柄です。
「均衡論」のロジック自体にはそれなりに説得力があり、敢えてそれを否定する心算もありませんが、このセオリーに根本的に欠けているものがあるとすれば、それは「時間軸」の概念ではないかと思います。
「最下層のグラスが満たされるのに、一体どれほどの時間を要するのか」何も示されていない―という---
●私見に過ぎませんが、「規制緩和」を、恰も錦の御旗のように掲げる推進派の主張には、少し眉に唾をしてかからなければならないのではないか―と考えている次第です。
●さて、本題です。
前号では、改革特区(福岡)における外資の起業を促す「雇用マニュアル」(正確には雇用指針)に触れましたが、その中身にもう少し踏み込んで、根底にある政府の思惑を洗い出してみようと思います。
云うまでもなく、特区という仕組みは、従来の慣例慣行や法的制約を解放する、国家内国家とも云われる「社会制度の大規模な試験場」に当たり、これが後日、微調整を施した上一般に敷衍適用された暁には、いわば助走路の役目=当局が着手を切望している政策(TPP等の)実験の場という役割=を果たすものとなりますので、客観的に見れば、レトリックで覆われた為政者の真のネライが直に反映され易い、という事にもなります。
●例えば…ローパフォーマーに対する解雇規制が極めて緩やかな米英等のアングロサクソン系外資にとっては、「ヒューレットパッカード事件判決」(最高裁第二小法廷 平成24年4月27日)に代表される本邦司法の姿勢は、日本参入の際の高いハードルに十分なり得る事態であり、その他の外資一般にとっても、仕事の難易や社会的な価値評価の如何=つまり、カッチリした債権債務関係に立つ契約=ではなく、年齢や学歴、勤続年数或いは職務遂行能力等の異同によって配分額が異なる日本の給与システム(俗に言う職能給)に対応する契約=彼等からすれば、労使双方にとってどこまでが債務か非常に判り難い契約、と云うより慣行・慣習=は、日本での事業運営に二の足を踏ませる阻害要因と化しており、このまま手を拱いていれば、益々日本はグローバル化の波に乗り遅れるばかりか取り残される恐れすらあり[*民法改正=短期消滅時効の5年統一=も同じ背景]、そうなれば投資家からも見限られ、市場の資金も流出、のっぴきならない事態に陥りかねない。
だからこそ、そうなる前に、外資の参入障壁を少しでも取り除いて置く必要があり、その為の措置の第一弾が「特区」なのだ…というのが当局の見立てであり戦略だと考えて、ほぼ間違いないような気がします。
●欧米を中心とした、ドライでドラスチックな契約概念に基づく労使関係の妨げになる日本的雇用慣行という堤に、先ずは「特区」で穴を穿ち、それを突破口に関係法令の改正まで漕ぎ着けたい、と云う処なのでしょう。
解雇認定裁判例の列挙や、金銭補償も含めた「退職パッケージ」=詳しくは次号で=の紹介もその意味合いで解釈できますし、指針の中で「職務給」の推進に言及しているのもその証拠と云えます。
なるほど「仕事基準」の契約こそ、同一価値労働・同一賃金の原則を実現する基本原理なのだから、これまでの職能給ベースの年功制度の方がむしろ異端児だったのだ、というロジックが展開し易い話ではあります。
●そうした考え方に一理があるのは確かですが、この議論に決定的に欠けているのは、職務給体系成立の背後には、今も歴然と残る欧州の階級社会の風土がある、という点です。
職務給さえ導入すれば課題解決、と云うのは本質の矮小化に過ぎません。
中学高校から職人かテクノクラートかの道が分岐する教育制度の違いや、個々の職務の価値に対する社会基準(公準)の存在の有無にまで踏み込まなければ、本来の解決の道筋は見えてこない筈です。
●そもそも、ある企業で職務給を導入したとしても、少なくとも当該地域社会でそのシステムが行き渡っていなければ、別会社に転職した途端、その仕事の価値はリセットされてしまう為、このテーマを進めようとするのであれば、全国規模とは行かなくとも、せめて一定の地域に於ては、どの企業に就職しても「一級旋盤工」であれば報酬に差異はなく、福利厚生上の違いがある程度だという状況が、下地として整っている事が不可欠であり、その点でも政府主導のバイパス造りは、やはり拙速の感を否めないものと思われます。
-次号では、指針の具体的記述も併せて検証する予定です-
有事のルール−まとめ/その11「迫り来る法改正の荒波−6」
著者/
常に決断を迫られる経営者。
私達は常に経営者の傍らでその背を支え続けます。