有事のルール・本編「医師との連携・情報交換に立ちふさがる課題‐2 個別テーマ解題」
1.愁訴に基づくウツ診断は何故曖昧にならざるを得ないのか?
現状の判断のボーダーは、抑うつ状態、興味・喜びの低下、食欲減退、不眠、無気力、希死概念など、国際基準(ICD−10やDSM−W)とされる9つの症状のうち5つ以上が該当すれば=つまり四捨五入方式で=ウツと診断される設定となっています。極論すれば、現代社会においては誰彼問わず通行手形が発行されるほど、ウツの関の門は開かれており、ウツの国への峠越えにも左程の難所がないと云える状況であり、これが、患者数増加の一因とする説の背景となっているようです。
一方、TPP参加の結果、米国方式(民間保険会社ベース)の健康保険制度導入ということになれば、対象者認定基準の厳格化が行われ、患者数は減るはず−という議論が出てくるのは、上記の説の裏返しということが出来ます。
患者数の増加は保険会社の収益圧迫要因となる為、保険会社による契約先病院、医師へのコスト削減要求が厳しくなり、ウツ診断に伴う投薬等の医療行為にもその影響が及ぶ結果、関所の門は狭まり、峠越えにも難所が増える−という理屈です。
公的医療の充実した日本ならばこそ「医は仁術」であり、病者の救済に比重と費用が掛かりますが、私的医療がベースの米国では「医は算術」であり経済行為に他ならない為、経費の抑制作用が働き患者数が減ることに繋がる、という事かも知れません。
これ等の説の是非は別にして、ウツ診断の曖昧さについては、現場の医師自身が最も切実に感じていることであり、それがひいては、復職可否判断にも大きく影響しているという事実を、マネジメント側としてはしっかり受け止めておく必要があります。
2.マネジメント側と医師との連携を阻むカベとは?
事業者にとっては、復職の是非を判断するにも、又リハビリを含めた復職後の配置や条件、目指すべきゴールの設定等にも、専門医との連携が課題解決に向けた最初の一里塚です。
しかしながら今の処、個人情報保護法により、「本人の同意を得た上での情報提供の依頼」もしくは「本人同席の上での診断所見の開示」という限られた方法しかない−のが実状です。
その背景には、何気ない一言でも、情報漏洩とされれば、医師側には命取りとなりかねない制裁措置が下される恐れがあるからです。
精神疾患の場合、実際には患者が同行や診断所見開示を拒むケースが圧倒的に多く、そうなると経営サイドとしては、確信のもてない周辺情報に辿り着くのが精一杯となり、ようやく情報提供を文書で、という段階に至ったとしても、業務復帰に関わる診断所見記入という、具体的業務の詳細も十分把握できない上分量的にもハードな作業を、それでなくとも多忙を極める医師に求める展開となり、現実感に乏しい状況に直面する事になります。
それでも、「そのような相談はいつでもウェルカムです」「24時間メール相談を受け付けています」という医師の方もいらっしゃるのは間違いなく、大変心強い限りではありますが、遺憾ながらこの問題は、ごく一部の良心的、超人的な個人の存在によっては、既にカバーし得ないレベルまで達しているように思われてなりません。
私見ではありますが、個別企業と、良心的且つ超人的な医師とのプライベート連携の段階は最早過ぎ、自治体レベル若しくは地域産業レベルでの集団的連携を模索するステージに至っているのではないでしょうか。
3.精神障害労災認定基準の緩和の背景とその影響とは?
平成23年12月の、精神障害労災認定基準の緩和もウツ病増加の一因、とする見解があります。
専門家の所見(従来は、全て専門医3名による審議を経由)が必要なケースは、一部の難しい案件に限定され、それ以外は発症原因(心理的負荷)となった出来事を強・中・弱の3つに区分し、これに当てはめる方式−判断基準の機械的類型化が新認定基準の最大の特徴といわれています。
そもそもは、過労死や自殺等の社会的問題の解決に手間取り、当事者遺族の救済措置が遅れる一方で、それに伴う行政コストの増大も抑制する必要があった為、当局としては「効率化」(審査期間の短縮、事務コストの圧縮)を急ぐ事情があったこと−が背景とされています。
公式見解を見ると、行政サイドは、新基準の策定を以って「基準の具体化、明確化」と表現し、判断がし易くなったとしていますが、ウツの過半数基準同様、時間外労働が発症直前で概ね160時間、前後100時間で強の負荷等、随分ファジーで粗い仕分けという印象を拭えません。
加えて申請者側の業務外(プライベート)の心理的負荷の調査も簡略化された結果、労災民訴(労災保険でカバーできない部分に対する、損害賠償や慰謝料請求)に一層の拍車がかかり、訴訟対象とされ兼ねない事業主側としては、労災申請に際し、これまでのような積極的協力体制も取り難く、そうなると却って事態の収拾を遅らせることも予想されています。(いわゆる、労災認定→安全配慮義務違反認定→巨額賠償命令−の構図です)
非常識な長時間労働は、無論抑制されなければならず、それを放置する様なマネジメントも許されないのは当然ながら、長時間労働が必ずしもウツ発症に直結するとは言い切れない-という専門家(新労災認定基準策定に関わった精神科専門医)の見解もあります。
社員を使い捨てにして顧みようともしない企業文化は論外−とは云え、客観的・科学的実証が十分行われないままの「見切り発車基準」では、殊更に訴訟をあおる一部の者に掻き回され、円満な解決の途が閉ざされてしまう危険性もあり、少なくとも新基準を手放しで歓迎するような状況とは言い難いものがあります。
容器(基準)の間仕切りを下げ、間口を広げても、当局が言うような課題解決(救済拡充・迅速化)とは限らず、問題が複雑化し長期化する可能性も十分ある、という点にくれぐれも注意が必要ではないかと考える所以です。
有事のルール・本編
「医師との連携・情報交換に立ちふさがる課題‐‐2 個別テーマ解題」
著者/
常に決断を迫られる経営者。
私達は常に経営者の傍らでその背を支え続けます。