有事のルール−:「ファーイーストが負った借財」  [迫りくる法改正の荒波−23]

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有事のルール−:「ファーイーストが負った借財」  [迫りくる法改正の荒波−23]

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有事のルール:「今も占領下にあり続けるファーイースト・1」 [迫りくる法改正の荒波-24]

<はじめに>
この処、様々な分野で法改正(民法、国家戦略特区法、労働法等)に向けた圧力が高まっていますが、これは恐らく、90年代あたりから盛んに叫ばれ始めた「構造改革」路線の延長線上にある、と見て間違い無いのではないかと思われます。

 

それを検証する為、本号では、終戦以来の米国の対日政策の変遷を追って見ることに致しました。その過程で浮かび上がってきたのは、興味深い歴史の深層です。

 

<序文>
古くからある銀座のカメラ店を何気なく覗くと、いかにもクラシックな趣の写真機が展示されていました。古色蒼然としたその佇まいに引き寄せられ、思わず顔を近づけてみると、そのボディに刻印されていたのは、何とMade In Occupied Japanの文字−。

 

コーンパイプを咥えたマッカーサーが厚木飛行場に降り立ち、第一生命ビルにGHQ本部が置かれてから、既に70年余りが経過しています。
日米間で4年近くに亘る戦争が行われた事すら知らない世代を除けば、普通私達は、太平洋戦争が終結した昭和20年8月15日(終戦)を境として、それ以前を戦中・戦前、それ以後の時間の経過を「終戦後」「戦後」という括りで表現し、又理解してきました。

 

一方、経済復興の観点から、昭和31年の経済白書に明記された「もはや戦後ではない」宣言までを「戦後」とする主張や、戦争や内乱のイメージが纏わりつく昭和の終幕までが戦後だ−とする見方もあり、何れもそれなりに頷ける考え方の様な気がします。

 

しかしながら、冒頭の一例が示しているように、一般論としての戦後はともかく、戦前・戦中の日本とは明らかに異なる状態=独立国家を名乗れない日本=がほぼ7年間に亘って存在(今から見れば、一時的に日本国は消滅)していたのは紛れもない事実であり、たとえ年表に記される事はなくとも、神話の時代から続いたヤマト国は、1945年8月に一旦その歴史が中断され、52年のサンフランシスコ講和条約発効でようやく復活した−と考えるべきなのかも知れません。

 

戦局の帰趨が、もはや誰の目にも明らかだった戦争最終盤に、終戦処理を有利に進めヘゲモニー争いに先手を打つ為、恰も鶏を割くのに牛刀を用いる様な残虐且つ過剰過大な手段(原爆)を取った米国と、その報を得るや、戦勝の権利獲得に少しでも乗り遅れまいと、不可侵条約を一方的に破棄して国境侵犯を開始したソ連−。

 

この米ソ両国の綱引きの結果次第では、あわや分割統治かという危うい状態=一案として、北海道以北はソ連領、青森以南が米国統治下に−という青写真も存在した=に置かれていたのが「被占領国日本」だったのであり、Occupied Japanとは、正にそういう流動的な状態そのものだったのです。

 

今、沖縄と本土の基地周辺以外で、表面上、あからさまな米国の支配を感ずる事は、余りないかも知れません。
が、密かに仕込まれた米国発のステルス型ウィルスは、気づかぬ間に日本の社会構造を蝕み、占領域を広げているのではないか−

 

本稿では、この見過ごせない問題に焦点を当ててみたいと思います。

 

<本文>
●Occupied Japanの時代、将来に向けた国の骨組は、GHQ内部の二つの勢力の影響を受け、微妙に揺れ動きました。終戦直後の戦後処理内閣は格別、46年5月からほぼ1年間続いた第一次吉田内閣(旧憲法下で発足し、新憲法を制定)の後を受け、誕生したのは非保守派内閣=片山社会党政権、芦田民主党政権(新憲法下での総選挙後初の内閣とその引継ぎ内閣で、何れも組閣や運営にGHQの意向が強く働いたとされる)=でした。

 

背景には、軍・財閥の解体と軍国主義的思想を一掃し、日本の民主化推進(極東の島国に地上の楽園を創造しようという壮大な試みだった、とする説も)を目指したリベラル派の民政局=GSと、超保守派のG2=参謀部第2部=の対立があったのです。

 

因みに、憲法9条の下敷きとなったマッカーサー草案では『国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる…』とあり、少なくともその当時の彼が、どのような立ち位置にあったかが窺われます。

 

考え様によってはこの頃が、被占領国という外形的には不自由な状況下にありながら、ほんの一瞬とはいえ、有史以来最も民主的な気風が漂った時代と云えるかも知れません。

 

●ただ残念な事に、この比較的穏やかな変革の試みは、長続きしませんでした。空気を一変させたのが、他でもない冷戦突入です。
GS・G2の勢力図が激変、朝鮮戦争=米ソの代理戦争=を間近にしてGHQは大きく方向転換、日本の軍事基地化、その後の安保条約へと突き進んでゆきます。

 

当初のユートピア建設が、反共防衛ライン構築へ変化した様に、日本占領政策には意図せざる紆余曲折があった筈です。

 

けれども、占領初期の段階から日本の体制内には、パワーボリティクスとは別次元のある種の仕掛けが施されていたのではないか、と疑わせる節があります。いざという場面で、それが時々顔を覗かせるからです。

 

古くは、減刑された元A級戦犯が首相の職にあった1960年に強行採決で締結された安保条約…そしてこの10年程を振り返ってみても、「構造改革」「規制緩和」「自由化」「民営化」等の威勢の良いお題目が、内部協力者とセットで舞台にせり上がり、演者が一部変わった第二幕の演目がTPPという運び。

 

これは、明らかにエスタブリッシュメント(占領政策の主役となる支配層。以下、ESと表記)が、第一幕の国家=軍=から、第二幕では金融資本・産業資本=コングロマリット=に、より端的に言えばグローバリストやマキシミスト(以下、GMと表記)に交代した事を示しています。

 

●最近、国家戦略特区法や労働法をめぐる動きが慌ただしさを増しているのは、この主役交代劇が巻き起した波紋の一つ(GMが、活動しやすい環境整備を迫っている証拠)に他なりません。

 

それでも、原則としてそれらの法が、たとえ間接的にであれ国民の審判という禊を受け、国境を越えて他国まで制御する事ができない国民国家の下に置かれているのなら、未だルールの内に収まる話です。しかし、TPPとなると話は全く別

 

ボーダーレスのGMにおいては、この議論自体が成り立たないのです。
ウィキリークスが暴露したTPPの眼目は、GM側が事業活動を規制されたと認識しさえすれば、各国政府を相手に、米国の統制下にある投資紛争国際解決センター=ICDSI=に訴訟を起こし、既存の各国内法の縛りを無効にできる(ISD条項)という点にこそあるからです。

 

従って、「日本が投資家から訴えられるとは考え難い」というICDSI事務局長談話(2016/02/16付日経記事「日本標的にならず」)など、凡そマヤカシと見るべきでしょう。

 

中国に抜かれたとはいえ、日本のGDPは世界第三位。
米国(GM)が、この分厚い皮財布を手放すとは、到底思えないのです。

 

著者/

夏目 雅志  / 三友企業サービスグループ

常に決断を迫られる経営者。
私達は常に経営者の傍らでその背を支え続けます。

 

 

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