有事のルール−:「多面化するファーイースト」 [迫りくる法改正の荒波−22]
元号の変わり目をもって時代を区切り、一繋がりの時間の流れに里程標を施す−という、私達の日常生活に馴染んだ何気ない習慣。元々が、天皇(王制)の代替わりに合わせた仕組みとして、奈良時代辺りから延々と続いてきているかの様に思いがちですが、実はこの法則が適合するのは、明治以降の事。
起源は「大化」のころとされていますが、必ずしも歴代天皇の即位・退位に則したものではなく、吉凶の変事毎に名称がチェンジされることも珍しくなかった様です。
歴史年表にカラー刷りで表示されているからと云って、織田・豊臣支配下の人々が、自分が生きているその世界を「安土桃山時代」と呼んでいた訳ではなく、徳川政権下で暮らした人々が、その頃を「江戸時代」と呼んでいた訳でもない−。
一見するとこれは、考えるまでもなく当たり前過ぎる話の様に思えます。
けれども、ファーイースト=欧米列強の植民地政策の中に位置づけられた日本=という視点で仕切り直したとき、恰も議論の余地ない先験的前提であるかのように思い込んでいた事柄の根拠が、俄かに怪しくなってくるのです。
例えば、天皇の代替わりと元号の一体化(一世一元制)が開始された明治。
この仕掛けの背景には、1867年の大政奉還に続く、翌年早々の「王政復古」があることは明らかですが、では、王政復古の後、慶応が明治に改元された1868年から、明治天皇崩御の1912年7月までの間が、慶応までの徳川幕藩体制=江戸時代=とは一線を画する、いわゆる「明治時代」なのか、というと、どうも違うようなのです。
因みに、前号でも触れた「戊辰の役」は、1869年6月(函館戦争の終結)まで続けられていました。この間は、旧幕側と薩長土側との内乱状態というのが客観的には正確な表現で、列強サイドも、どちらに転んでも問題ないように上手く立ち回っていた形跡があります。
つまり、この流動的な時間帯については、少なくとも後の世代が「明治」として認識している実態は全くなく、討幕派が大義名分を得るため仮構した一世一元制という一点においてのみ、「明治」が存在したと云うべきかも知れません。ですから、列強に伍し得る国家体制=近代国家=中央集権体制=を創ろうとしたのが「明治維新」だと仮定するなら、その起点は1868年ではなく、幕藩体制=徳川幕府を中核とする各藩による連邦制=に終止符が打たれた1871年(廃藩置県)と考えることもできるのです。
今に至るも尚、虎視眈々と日本浸食の隙を窺う欧米諸国。幕末以来のこの関係を、法改正も併せ、実施されつつある諸政策を通して検証して見たいと思います。
<本文>
●クリミア…南北…戊辰。それぞれ場所や背景、時期も異なるこの三つの戦争を繋ぐ共通要素は、「生産技術の発展と余剰製品の在庫処理問題」であり、それこそが日本をファーイーストと化す根本要因の一つだった訳ですが、今日もなお様々に形を変えながら、その構図は維持され続けている様に思われます。それを端的に表現すれば、覇権主義的資本主義=株主資本主義=勢力による、福祉・平等型資本主義社会の制圧、支配と言い換える事ができそうです。
●一般に、このような構図を存続させるには外圧だけでは足りず、身内に手引きし呼応する者=いわゆる漢奸=が不可欠−とされており、この通説に従うと、思い当たる事案が幾つか浮かんで参ります。
例えば日本郵政・ゆうちょ・かんぽの上場でしょうか。
10年前、米国政府要望書の要求をそっくり受け入れて解散総選挙を行い、郵政民営化の先鞭をつけた「小泉−竹中」コンビが、そもそも意図していた郵政3社の全株式売却の第一弾が愈々始まった、という見方もある今回の措置。
極論すれば、日本郵政が一般事業会社(民営)化すると、様々なルートを使って株を入手し、筆頭株主の座を得た米国(物言う株主)が総会を支配する‥その結果、郵貯の資産(当時のレートで約350兆円と云われた日本国民の財産)は、利回りの低い国債から米国債購入に充てられ、トドのつまり米国に移し替えられる−。今の処、その段階には至っていない様ですが、事実上それに準ずる動きは出てきています。
●日銀による大規模な国債買入れの煽りを受け、資金の運用先として米国債の保有高を増やさざるを得ないゆうちょやかんぽ。そして運用先比率を大幅に見直し、国内債券を60%から30%に引下げる一方、外債に振り向ける比率を11%から15%に引上げたGPIF=私達の年金資産を管理する機関=の方針転換。これらを図式化すると、次の様になりそうです。
@GPIFの方針転換→国債の大量放出→日銀による引き受け→それを元手
とするGPIFによる外債(米国債)購入
A日銀による国債の大量購入→国債利率の大幅低下→「ゆうちょやかんぽ」
の資産運用先変更(米国債購入)。
日銀の国債購入は、本来、市中金融機関に資金=円貨=を大量に供給し、それが事業活動に回る事で緩やかなインフレを生じさせ、デフレから脱却する起爆剤にしようという、国内景気回復策の一環として唱えられた理屈=インフレターゲット論=で、これが機能すれば2%成長は確実に達成される−と、メディアで繰り返し流され、俗にいう異次元緩和も度々行われたのですが、今ではヨイショしたマスコミすら、このカンフル剤の効き目について、後ろ向きの論調を展開し始めている有様。
●デフレ脱却のシナリオ自体が狂言(実際は米国への上納金)ではなかったのか−。
図式の様に、供給された資金は米国債の購入に充てられている、又はそう解釈せざるを得ない状況になっています。
国内景気の回復の為の資金が、米国経済を支える原資として利用されている、というべきでしょうか。
幕末に極めて偏った交換レートによる商取引で金銀を吸い取られたのと同様、国民の財産は結局米国の手に−という構図は今も歴然とあるのではないか−という疑問が拭えません。
●一方、法人税減税と消費税増税の動きからは、当局の明治以来変わらぬ姿勢が窺えます。近代国家成立の礎である徴税権を各藩から取り上げ、中央政府が掌握する為実施された廃藩置県。それでも明治の租税は地租(年貢)であり、納税者は農民という構図。
折からの士族による反乱=西南戦争=に専念すべく、大口納税者たる農民反乱予防策として政府が行った減税(78年地租改正)は、結局国家財政の疲弊を招きます。財界を慮り、法人税減税を断行しようとする現政府は、何より歴史に学ぶべき筈なのですが−。
著者/
常に決断を迫られる経営者。
私達は常に経営者の傍らでその背を支え続けます。