有事のルール−:「ファーイースト…」 [迫りくる法改正の荒波−20]
<序文>
●ナイチンゲール…と云えば、敵味方の区別なく傷病兵の手当を行った「白衣の天使」のモデルとして誰しも知るところですが、彼女が活躍したその地で行われたのが、他でもないクリミア戦争。
そして、「英仏土VS露」間のその戦争は、5年後に戦端が開かれ、当時の米国を二分する激しい戦となった南北戦争を経て、およそ10年の後、明治維新にも大きな影を落とすこととなります。
●2013年の大河ドラマ「八重の桜」でも、主人公が、女だてらに藩の銃指南役に抜擢され、薩長側と攻防を繰り広げる場面が度々放映されていましたが、改めて読み直してみると、維新関連の書籍の中には、彼女が用いた銃をはじめ、当時使用された小銃の名前が、結構な頻度で登場している事に気づかされます。
その代表が「ミニエー銃」「エンフィールド銃」等ですが、これらは皆、クリミア戦争が引き金となり、開発・量産化された歩兵銃でした。
クリミアでの戦いは、近代戦争が、生産技術の飛躍的発展を促すことを証明した典型例であり、又同時に、武器という、限られた用途にしか使えず、一般消費財に転化できない商品の、在庫処分問題そのものだったのではないでしょうか。
●クリミア後、余剰となって山積みされていた銃器類は、やがて再び倉庫から引き出され、南北戦争において120万人を数える犠牲者を生み出す一方で、英仏両国に莫大な収益(輸出代金)を齎します。
そして南北戦争後、同じ様に用済みとなって行き場を失い、処分先を探していた新式銃を含む在庫銃器は、新たに極東の小国に、その捌け口を見つけ出すことになります。
●それこそが戊辰の役−。
既に政権交代のセレモニー(大政奉還)も済ませ、事実上、徳川幕府は瓦解していたにも拘わらず、討幕派と呼ばれた人々はなぜ無用且つ無益な戦(戊辰戦争)を仕掛けたのか−
上記の経緯をなぞってゆくと、討幕派の背後に隠れ、その背中を押した勢力の存在に、否が応でも辿り着く筈です。
維新以前から日本に関わり、様々な角度から政治経済の構造を分析把握してきた米英仏諸国からすれば、交渉技術さえろくに備わっていない東洋の一小国家など、赤子の手をひねる様なものであり、交易を通して蓄積された富を収奪する上でも、用済み武器の処分場としても、格好の標的であったに相違ありません。
そして21世紀の今日も尚、日本は遺憾ながら「ファーイースト」であり続けているのではないか
−最近の動向から、その辺りの事情を探ってみたいと思います。
<本文>
●「弓なりに背中を反らせたエビ」…恐らくこれは、ソウルや平壌から日本列島を眺めたときの光景でしょう。
少なくとも私達が日常慣れ親しんだ、左側に海を隔てて朝鮮半島や中・露が近接し、右側には太平洋の彼方の上方に北米やカナダ、下方に中南米があって、地図の中心には常に「タツノオトシゴ」形の島が描かれているソレ−とは全く異なった絵柄となる筈です。
視点を変えると、見え方もガラリと変わるのは当然の話ですが、この当り前の前提が、意外にも抜け落ちてしまう場合が多いのです。
例えば、「学問的中立」という概念。
=日本の労働法及びそこから派生する判例法理では、正社員に対する解雇(特に整理解雇)に厳しい要件が求められる一方、非正規社員に対する雇止め等については、正社員解雇の防波堤、正社員の雇用保護の代償として裁判所も認めるという流れが定着している。
けれども、世帯主(主に男性正社員)が唯一の家計の担い手であった構図は様変わりし、雇用者の既に三分の一以上(37.4%)を非正規社員が占めるという状況下(雇用調整の容易な労働力として、企業側が非正規社員の割合を増やしてきた背景もある)で、非正規社員のみに雇用調整の皺寄せを行い、正社員偏重に軌道修正を施さないのは、正−非正間の格差拡大と非正規社員の生活不安定化をもたらす時代錯誤の考え方であり、この様なアンバランスはできる限り是正し、解消してゆく必要がある=という議論。
●これは至極まともな、異論の余地ない見解の様に見えます。非正規社員の犠牲によって正社員が守られている−という面も確かにあるからです。
この9月30日、パブコメもそこそこに施行された新派遣法第40条の2にも、その痕跡が残っています。
就業場所ごとの業務について、派遣期間を3年までに限定した新法の原則に対する抜け穴措置として設けられた条項で、期限切れの1ケ月前までに、過半数労働組合等の意見(端的に言えば「正社員」側の意見。派遣労働の恒常化は、正社員の地位を脅かすとして、派遣制度は一時的な労働力の需給調整という建前で成立した経緯があります。正社員側の意見を聴くというプロセスが必要なのはその為です)を聴取して置けば、更に3年(後は繰り返し)派遣期間を延長できるというもの。
つまり新法は、派遣労働者を期間制限の縛りから解放し、正規雇用との垣根を外見上取り払った事で、恰も非正規雇用に安定化をもたらす「中立的見解」に沿った真っ当な代物の様に見えながら、少し立ち位置を変えてみると、本法案の成立で最も収穫=派遣の実質的恒常化=を得たのは、実は財界だったと云う真相に辿り着くのです。
●社会科学の分野では、無色透明の見解だから、それに基づく結果もニュートラルだ−というのは幻想に過ぎません。
殊に現在の様に、プレッシャーグループの代表か政権寄りの有識者によって構成される諮問会議が、政策立案の主体となる体制下では、学問的な識見も、都合よく取込まれるだけだからです。
そして、この新法の先に待ち構えているのは、EMPLOYMENT−AT−WILL…「随意的雇用」=即ち自由解雇=と訳される、英米法の雇用契約概念・思想による日本の法的植民地化(労働法の破壊、浸食)ではないか、と疑われる節があります。
規制緩和を大義名分とする外資の誘致−その引き込み線として設けられた雇用特区(福岡)は、一体誰がシナリオを描き、誰がそれに乗り、誰の為に推し進めようとしているのか―。
●正−非正間のアンバランスの是正から始まった議論が、やがて正社員の解雇も非正規並みに、という方向に曲折する事は十分あり得ます。
その気配が見えだしたとき、陰の主役の正体も、同時に明らかとなるでしょう。
日本が、開国以来のファーイーストでなければよいのですが、それを確認するまで、用心深く注視し続けなければならないと考えています。
著者/
常に決断を迫られる経営者。
私達は常に経営者の傍らでその背を支え続けます。