[有事のルール 迫り来る法改正の荒波−19:士農工商…A]
<序文>
本年10月改訂の地域別最低賃金−。
例によって高知、鳥取など、地域金融機関の存続すら危ぶまれている最下位の地方では、対東京比で、時間当たり210円もの格差が生じています。
差別化可能な特産物は限られ、交通の便も悪く、商流、物流面でも比較劣位にある環境となれば、産業は根付かず、近在の大生産地、大消費地である近畿圏に人が吸い出されるストロー現象に歯止めが掛からないのは、やむを得ないマーケットメカニズムの様に思われます。
しかしながらこの状況は、同様の事態が生じていたかに見える昭和30年代とは、似ても似つかないのです。
当時、「別れの一本杉」「リンゴ村から」や「ああ上野駅」等、地方の農村地帯から、東京に集団就職した若者たちをテーマにした曲が数多く作られましたが、そこには、一気に進んだ工業化(近代化)=高度成長=という時代背景が色濃く反映されていました。
大学進学率も、昭和40年代に至って漸く20%に達したかどうか、という時代。
兄弟姉妹併せて5人、等という家庭も珍しくなく、長男が進学すれば、後の弟妹達は、皆高卒か中卒で就職するというのが普通であり、一部が都市部に吸い出されても地元に残る者も相応に居て、地方衰退の遠因ではあっても、直接的なトリガーとまでは云えない状況でした。
今日の様な深刻な事態を招いたのは、好景気で都市部への人口集中が加速、地方から人口が流出し都市部へ流入するというパターンが顕在化したバブル末期、80年代終盤の竹下内閣時代に、そもそもの発端があるのかもしれません。
ふるさと創生と称し、全国の自治体に「一億円」をバラ蒔き、純金製のシャチホコや相当額分の宝くじ購入などという、馬鹿げた使われ方が話題となった件の仕組も、ムラ興しによる人口流出防止策の一環だった、とも考えられるからです。
そして今、為政者が掲げる「地方創生」のスローガン。
装いは同じに見えながら、竹下内閣当時とは全く以て「似て非なる」経済状況−。
小職の生まれ故郷もすっかり様変わりし、伝統を誇ったホテルは銀行管理下に置かれ、老舗の家具屋は取り壊されて駐車場に…という有様です。
この様な、都市圏と地方の格差拡大を招いた張本人達が、恰も救世主然としてふりかざす「地方創生」という空々しい文言は、「歴史に学ばない者達によって繰り返される歴史」というものが紛れもなく存在する事を、証明しているかのようです。
本文では、その辺りの事情について、追求して参りたいと思います。
<本文>
有事のルール−:[迫り来る法改正の荒波−19:士農工商…A]
●[非正規社員」、「下流老人」、「貧困率6分の1」…。
これらの全て、とまでは云えなくとも、こうした状況を結果的に創り出し、格差を拡大し定着させたのは、構造改革の名の下に実施された、「市場主義を至上命題とする経済政策」だった事は、今や論ずるまでもありません。
政権の有力者たちが、時々持ち出す「トリクルダウン」等という似非均衡論は、その典型と言えるでしょう。シャンパンタワー最上部のグラスが満杯になると、段階的に下のグラスにも酒が滴りおち、やがて全てに行き渡る−という経済理論を表した図柄としてよく用いられる、トリクルならぬ「トリック」理論です。
●以前のレポートでも触れましたが、最上部のグラスは超特大サイズであり、滴り落ちるとは限らない上、仮に全てに行き渡るとしても一体何時になるのか、誰もその予測が立たず、実際、この欺瞞に満ちた理屈を考え出し、実行に移した米国大統領レーガン自身が既にこの世になく、この考え方自体も、実証すらされていません。
にも拘らず、この処の歴代の為政者は、性懲りもなくこのロジックを使い続けており、それが財界べったりの政策や法制度=法人税減税、消費税増税、労働者派遣法改定、解雇規制の緩和やホワイトカラーエグゼンプション等の労基法手直し(今回は見送り)他=となって彼らを富ませる一方、冒頭のような低所得層を増やし、格差の広がりと抜け出そうにも抜け出せない泥沼化・膠着化状態を招いている、と云っても決して過言ではないのです。
●この考え方の底流にあるのは、多国籍型大企業に可能な限りフリーハンドを与えて増収に導きつつ徴税を控え、政府の手による所得の再配分−その為にこそ官僚制度はある−を縮小して富裕層の消費行動と投資を活発化させれば、中間層以下の層は、そのおこぼれに与ることができ、その方が国富も増えるという、俗に「おこぼれ経済」と称されるトリクルダウン理論そのもの(中小零細企業や声なき民衆などは全く視野の外)であり、更にその先に見据える将来像は、医療や年金全体の設計図を書き直し、日本版オバマケアの導入で完成する「社会保障制度解体のシナリオ」を措いて他にありません。何故なら、社会保障の持つ機能は、所得の再配分そのものに他ならない(所得の多寡に拘らず、全国各地どこでも療養の給付は平等に受ける事ができ、年金の定額部分は報酬如何によらず、加入期間に応じて支払われる)からです。
●使う立場により、全く色合いが変じてしまうと云われるロジック−。
使う者に都合のよい筋立てで展開されるのがロジックだとすれば、米国生まれのロジックは、米国を利する以外の何物でもない、という事になります。
個人責任を重視する米国では、社会保障制度が立ち遅れている分、民間企業が営利活動の一環として医療保険等に関わっている為、社会保障を否定する事に躊躇しない環境があると考えられます。
彼我の利害得失を考慮した場合、例えばマイナンバーの導入は、社会保障制度に風穴を開け、米国資本がその隙間に参入する為の露払い役と考えると合点が行きます。
当面、個人番号カードには載せない−とされている医療情報ですが、それも時間の問題と考えるのが現実的です。
国民のカルテ情報が漏れなく一枚のカードに記録される−これは、社会保障制度民営化の受け皿を、虎視眈々と狙っている米国の医療保険会社にとっては、宝の山以外の何物でもありません。
●独立した法治国家である筈の日本が、国内法をはじめ永年培ってきた社会制度まで次々に突き崩され、まるで属国−というより一部族の様な扱いに甘んじているこの状態は、最早ISD条項(TPP)が先乗り実施されたも同然の有様です。
今後は、特に社会保障において制度面の譲歩がどこまで進むのか、厳しく監視の目を光らせて行かなければならないのではないでしょうか。
著者/
常に決断を迫られる経営者。
私達は常に経営者の傍らでその背を支え続けます。