有事のルール:「悪法も無法に勝る?」 [迫りくる法改正の荒波−17]
●賄賂の横行を招き、世の中にモラルハザードを蔓延させた元凶として、何かと評判が悪い「田沼政治」。
この田沼政権と現政権には、幾つかの共通点がある−といわれています。公共事業中心の施策展開と増税政策がその主な理由のようですが、同じ増税でも、その姿勢には大きな隔たりがあるように感じられます。
●確かに田沼意次には、寄せ集めの家臣団が実質的に統治に当っていたその領地において、袖の下問題が多発していたという事実があり、悪評もまんざら的外れではなさそうですが、行おうとした改革には寧ろ、優れた先見性があったのではないかと思われる節が、随所に見受けられます。
税源を、一元的に年貢(農業課税)に頼っていた当時、特権的立場の商人に対しその特権を認める代わりに、徴税を開始するという画期的な税制改革に着手、御用金(今で云う国債買入)制度を導入しつつ、集まった資金を公金貸付として運用、現代金融でも実施されている返済繰り延べ措置や利子引き下げ=リスケ=にも先鞭を付ける等、財界等の要望に沿って法人税減税を行いながら、消費税増税で一般庶民に付けを回そうとする現政権とは、正反対の姿勢を貫こうとしていたのではないか、として評価する向きもある程です。
●因みに、現政権(日本再興戦略)のシナリオは、中小事業者に対する返済繰り延べ措置=リスケ=に終止符を打ち、返す刀で銀行には債権カットを実施させる−リスケを受けているとされる40万社の内、仮に6万社がデフォルトとなり、これらがみな全て債務免除となった場合、1社当り借入額平均5千万(6千5百万程度と見積もる説もある)と仮定して、これがそっくり債務免除益になるとすれば、40%課税でも1社2千万、6万社で1兆2千億円の増税効果がある−という、真に官僚的で冷ややかな代物です。
●要は、瀕死の事業者から取立てを進める一方、国民に対してはマイナンバーを割り当て、徴税網を張り巡らせて一網打尽=未納者を炙り出し、網を掛けて残らず税を掬い取ろう=という寸法なのでしょうが、田沼ならずとも、個人・法人を問わず、富裕層からより多く徴税し或いは貿易収支において稼ぎを得、無駄な支出を抑えつつこれを財政運営に充てる−それが、時代を超えた王道の筈−。
処が現状は、市民や中小事業者から取り立てた砂金を、まるでザルで運ぶような野放しの財政運営が行われているのが実態です。
現政権下で進行中の施策や法改正には、この様に首を傾げたくなるものが少なくなく、中でも派遣法改正は、その最たるものと云って良さそうです。
本文では、派遣法を通して「悪法も無法に−」の本質が、支配統制する側にとっての論拠である所以に、迫ってみたいと思います。
<本文>
●陽の当らないコインの裏側が、例えどんなに腐食していてもそれには触れず、表側だけに光を当て、反射が強い事を理由に対策が不可欠だとする論法−政府が何かと多用するこうした論法は、ある種の錯誤を呼び起こしかねない「脅迫行為」に似ており、派遣法論議も、同じ脚本に基づいている様に見えるのです。
●労働者派遣法改正をめぐる政府の主張を検証すると、ほぼ次の3点に集約することが出来るのではないかと思います。
@指定26業務に該当する人だけ期限の定めが適用されず、その外の職種の派遣就労者は3年で期限切れ−というのでは不公平であり、違法派遣の温床ともなり易い。業務間の差別的取り扱いの壁をなくし、一律3年の期限設定とすれば、運用上もわかり易く平等性も担保できる。
A働き方が多様化している時代に、同一職種を何十年も継続するというのはそもそも非現実的であり、ITの加速度的進化により仕事がなくなるリスクも格段に増す。例え3年毎に職場が変わったとしても、様々な分野の職能が身に付き、寧ろ適職にめぐりあうチャンスも増える。
B派遣といっても期間雇用(有期雇用)に限られる訳ではない。無期雇用という道も用意されており、派遣先で必要とされれば正社員にもなれる。
●@は下方収束タイプの昔から良くある平等論。
「水は低きに流れる」の典型で、当然ながら、指定業務を増やして制限を受けない対象者を拡大し、上方収束させよう等と云う議論は全く出て来ません。
仮に税収増が、政府にとって喫緊の課題であるなら、不安定収入の国民を更に増やしてどうしようと云うのかーという疑問が生じますが、「専門業務枠撤廃」の政策意図が、「専門性」によって維持されていた一定の報酬相場に値崩れを惹き起こす事にあり、それが収益増を追求してやまない財界の、その要望に応えたものに過ぎなかったのだとすれば、規制緩和の大義名分によって政策が正当化され、真相が覆い隠されただけの話であり、税収議論は視野の外だったとも言えます。
Aはエンプロイヤビリティ=一企業に止まらず、別の企業でも雇われ得る職業能力を指す米国生まれの概念=の推進論そのもの。
円滑な労働移動が可能な、米国のようなスキルベースの職務給型社会では、比較的受け入れやすい考え方でしょうが、柔軟な人事異動や配属替えを重視し、その為に職能給ベースの賃金体系を構築してきた日本企業が、この思考をそのまま持ち込んでそれらしく装おうとしても、社員定着化による固定費の増加を防ぎたいだけではないか、と受け取られるのがオチ。
実の処、派遣法改正はダミーで正社員縮減が真の狙いだ、とする声も少なくなく、福岡特区での外資系企業向け案内にあるように、解雇を有効とした裁判例などを列挙し、解雇規制のカベが企業活動に支障を来たすのではないか、と云う外資側の懸念を払拭するのに腐心している様子等を見ると、こちらの説の方が説得力があるとも云え、一連の労働法改正の動きが、「解雇の金銭解決の法制化」等による(正社員の)解雇規制の易化を照準としていると考えれば、エンプロイヤビリティ推進を図る上で派遣期間の上限規制は、うってつけのテストケースと云う事になります。
Bこれについては、95年の日経連による「新時代の日本的経営」に全て答えが書かれており、そこには正社員(長期蓄積能力活用型−現在では、メンバーシップ型)、専門職(高度専門能力活用型−いわゆるジョブ型の有期雇用)、雇用柔軟型(パート・派遣等)の区分=パレートの法則をベースに、正社員2割、専門職3割、流動的雇用者5割という構成=がはっきり明示されています。
従って、「必要とされれば正社員登用もあり得る」等と云うのは、財界を構成する大手企業などでは全く相手にされない、限りなく詐欺に近いお伽噺に過ぎません。
●つまり「悪法も?」と言うホッブスの言葉は、支配統制する側にとって「無法」が無秩序と同義であるからであり、これが決して市民目線から発せられたものではない−という点において、派遣法改正は、正に「無法に勝る」と云えるのです。
有事のルール:「悪法も無法に勝る?」 [迫りくる法改正の荒波−17]
著者/
常に決断を迫られる経営者。
私達は常に経営者の傍らでその背を支え続けます。