有事のルール−:「人質事件は未来の暗示」 [迫りくる法改正の荒波−12]
その時為政者は、どような判断基準を以ってあのように発言したのか
この報道に接したとき、咄嗟に脳裏を過ぎったのは、
「棄民」の二文字 でした 。
<序文>
●本件は外見上、確かに、伝統的ともいえる嘗ての棄民政策(明治末から始まった「南米移民」や昭和初期に開始された「満州開拓団」が典型。
その実態を描いた作品に「蒼氓」=石川達三、「邪宗門」=高橋和己 、等がある)の系譜 に繋がっているとは 申せませんが 、時の政府が、結果として国民を見捨てたことに変わりはありません 。
囚われの身となった自国民に、政府がどう向き合うのか−これは、今後の私達の行く末を占う試金石でもあ りましたが、その意味では、予想通りの結末となりま した 。
残念乍ら私達の前途には、どんよりした曇り空が待ち 構えている様です。
●この事件については、個人の突出した行動が、政府に余計な負担を掛けさせる結果を招いた−とする、専ら本人の責任を問う論調を展開したメディアもありましたが、そこからは、「お前達が余計な真似をしなければ、戦争はもっと早く終結したのだ」という、終戦後、九死に一生を得て「特攻」から帰還した若者に対し浴びせられた罵声と、どこか似かよった、「志」など顧みようともしない冷酷で余所々しい疎外感情が、漂っているように感じられます。
●民が民を敵視し、民同士が反目し合うこの余所々しさは、政権運営者にとっては痛くも痒くもない、むしろ好都合な状況とさえ云えるでしょう。
規制緩和のお題目とともに、やがて揃って生贄に供されるとも知らず、いがみ合う羊同士−そんな絵柄を、高所から眺めているのかもしれません。
●さて以前、「260分のm=365分のn」という、有休の予実管理の考え方をご紹介する際、有休消化推進議論は、社会保障費の民間への付替えの面もある旨併せてお伝えしましたが、これが愈々義務化の局面を迎え、再度検証致しました処、欧米からの長時間労働批判の裏側に潜む極めて危険な思惑と、「棄民」とも言いうる為政者の、規制緩和(門戸開放)政策の本質が浮かび上がって参りましたので、前後二回にわたり、本文でご案内する運びとなった次第です。
云うまでもないことですが「生贄に供される羊」とは、私達=一般の国民、提供先は「ハゲタカ外資」という構図です。
<本文>
●有休消化促進を企図した今次労働基準法改正案(第39条関連)は、各企業に対し、従業員に年5日間、取得時期の指定を行わせることを求め、更にその消化を義務づけようというものですが、法案上程の背景には、諸外国に比べ日本の有休消化率が低いという統計上の数値を根拠として、長時間労働とも併せ、海外からの批判とプレッシャーが強まっているという事情があるとされています。
確かに、表面上の平均消化率だけを見れば、100%消化の一部欧州先進国と、50%がやっとの日本では比べ物にならないでしょう。
けれども、他国より格段に多い祝祭日を実質的な休暇と見做せば、数値上全く遜色がないばかりか、米国、シンガポール等を何日も上回っており、とやかく言われる筋合いは見当たりません。
では、何故彼らは圧力をかけ続けるのか、その思惑とネライは一体どこにあるのでしょうか。
当然ながら、日本の労働環境を改善しようとする人道的なアプローチ等でない事は、云うまでもありません。
●最も有力と思われる筋書きは、次のようなものです。
外資にとって都合の良い環境を整備する=日本市場に進出するに当っての下地作り又は有利な条件の獲得、若しくは日本企業の国際競争力を殺ぎ、同じ土俵に立たせる=のが目的であり、その為の前段階として、日本の国内法を変えさせなければならず、プレッシャーを掛けることが必要且つ有効な手段だった−法改正による有休増は、日本企業にとって生産コスト、サービスコストの上昇要因となる為、その影響で価格等の比較優位性が下がれば、外資の競争力が必然的に高まる−からです。
●が、このヨミは少し単純すぎるかも知れません。
相手国の国内法も、圧力を掛け続ける事で変えられる、という旨みを一度味わった者が、打ち出の小槌をそう簡単に手放す筈がないのです。(皮切りは、紛争事前調整型=規制重視の日本型=から、事後処理型=市場原理の米国型=へ大きく舵を切った「新会社法」の制定:平成18年)
恐らくこの筋書きには、その先のストーリーか、密かに掘り進められている地下トンネルの様な別ルートが用意されており、その全貌が明らかとなった時には、打つ手なしとなっているのではないか、と云う大きな不安を感じざるを得ません。
●勿論、この様な危惧を抱くのには、それなりの根拠があります。
株価維持と政権維持が等価関係にあるとされる状況下で、株価を大きく左右する外資の動向と要求に、敏感且つ従順でなければならない政府が、どう対応し又はしてきたか−例えば、私達の老後を支える年金資産を株式市場(博打場)に無制限に注ぎ込む決定が為されたGPIF問題。
国債ベースでは利ザヤも見込めず、財政危機が深まれば暴落リスクも抱え込むから−というのが答弁の主旨でしたが、株価暴落こそ、より現実的なダメージとなり得る点には触れたがりませんでした。
何故なら、年金資産の運用受注先14社のうち10社を、ゴールドマンサックス等の外資系金融機関が占めている(つまり、彼らの懐に莫大な運用手数料が入るだけでなく、いざとなれば本国に逃亡すれば良い)からです。
●一般国民のコタツ目線で見ても、感じ取れる徴があります。米国資本の先導役として、早くから送り込まれていたWBSでもお馴染みのエコノミストR・F。それに呼応する国内の手引き役が、諮問会議の常任メンバーH・T。
この両者が手を組んでいる事は、その補完しあうかのような言動を拾ってみるだけで、よく判ります。
前者は、医療分野の規制改革推進策の中で、国民負担率を「60%に引き上げるべき」等の、社会保障制度の根幹を切り崩すような発言を行い、後者は雇用改革の旗振り役として「正社員不要論」をぶち上げる等、国民を生贄として外資に差し出す先鋒隊を務めています。
恐らく、歴史の教訓(幕末の「赤報隊」事件など)が彼らの耳に届くことはないでしょうが、少なくとも私達は、彼らの言動に注意を払い続けて行かなければならないのではないか、と思われます。
−続く−
有事のルール−:「人質事件は未来の暗示」
[迫りくる法改正の荒波−12]
著者/
常に決断を迫られる経営者。
私達は常に経営者の傍らでその背を支え続けます。